IN MY TIME

究極のガーデナー、ターシャ・テューダーの暮しに憧れ、いつか彼女のように暮したい。その夢を少しずつ形に…。都内の狭い庭で趣味の養蜂、キャンドル、ポーセレンレースドールと愛犬ブリュツセルグリフォンとの日常。

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伝えなくては・・

今朝の情報番組で、戦争を経験した国民の割合が5人に1人だと言ってました。
先進国首脳は戦争経験者がゼロだとか・・戦争をしならない人達が国を動かしていると。

私も戦争を知りません。
小学生の頃、先生から家の人に戦争の話を聞いてくるよう宿題が出されたことがありました。
母に聞いたら、戦争が終わって直ぐに米軍兵士が母の家のアヒルを身振り手振りで説明し持っていったと。
当時母は子供で米軍の対応は悪く無かったようで不快な気持ちなどなかったみたい。(ガムだかチョコ?をもらったようなことを言っていたような・・)
珍しいものでも見たような感じで話ていました。

それから何十年かして・・職場の同僚から、同僚のおじいさんの戦争体験の話を聞きました。
満州でのこと、生きるか死ぬかの極限状態で気が狂う隊員が出るそうで、そういう隊員が一人でもいると(奇声をあげたり逃げたりする)敵に見つかり、自分達の命が危ないので、隊長から気持ちを落ち着かせるために、民間人を殺して来いと命じられるのだと。
人を殺したことで度胸が付くのだと・・・
その話を聞いて絶句しました。
普通に暮らしていた人が戦地に行かされ、敵を殺さなければ自分や残して来た家族たちが殺されてしまう、恐怖に気を狂わされ日本を守る為に戦わされたんです。

シベリア抑留・・・母の葬儀の時にお世話になったお坊さん(67歳)のお話。
お坊さんのお父さんは捕虜となり、シベリアで強制労働を強いられたそうです。
捕虜になるくらならと自害した人もいたけど、お父さんの所属する隊長は「なんとしても生きて日本にかえるぞ!」と隊員に言っていたそうです。過酷な強制労働の毎日、夜になって寝る時に「ああ、疲れた」と言った人は必ず翌朝亡くなっていたと。
極寒、満足な食事もない・・「生きて日本に帰るぞ」と励まし合ったと。
「生きるという強い気持ち」があったから生きて日本に帰れたのだと・・お父さんが生きてくれたお陰で私(お坊さん)が居るのだとおっしゃっていました。

数少ない私が聞いた、戦争の実話。
直接会った事の無い伯父はフィリピンで戦死・・

雲

平和がこの先ずっと続きますように


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